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第2期棋聖戦 (囲碁)

1勝を返した。ホテルナゴヤキャッスルでの第4局では白番藤沢が、坂田栄男から秀行ともあろうものが星目級の布石を打ったと言われるほど、右辺の消し方を誤り非勢となったが、左辺の黒を攻めて盛り返し、コウ争いで負けて、黒番4目半勝ち。加藤が3勝1敗と棋聖位に王手をかけた。

Kata Terkait

第1期棋聖戦 (囲碁)

は先番であちこちの大石を巧妙にシノギきって中押勝。藤沢は終始細かい形勢の碁を先番半目勝。決勝七番勝負には、第1期名人や前年の第1期天元戦優勝などで初物食いと呼ばれる藤沢秀行と、69歳の橋本宇太郎が進出し、七番勝負を戦うこととなった。七番勝負に関西棋院の棋士が登場するのは、1962年第17期本因坊戦の

第4期棋聖戦 (囲碁)

各段戦の初段戦ではアメリカ出身棋士J.カーウィンが優勝。全段争覇戦では、五段戦優勝の小林覚がパラマス戦3人抜きするが石井邦生に敗れて最高棋士決定戦進出はならなかった。全段争覇戦決勝は、九段戦3位の橋本昌二が九段戦優勝の林海峰を破って優勝した。 大竹英雄名人、加藤釼正本因坊、石田芳夫王座と、坂田栄男、全段

第46期棋聖戦 (囲碁)

七大棋戦の一つ。挑戦者決定戦ではSリーグ1位の一力遼天元が芝野虎丸王座(当時)に勝利し、4年ぶりに井山裕太棋聖への挑戦権を獲得した。井山と一力が顔合わせるのは第46期名人戦(この時は井山が4勝3敗で防衛)以来のことである。挑戦手合七番勝負は、挑戦者の一力が井山にフルセットの末で制し、第十代棋聖位を

第10期棋聖戦 (囲碁)

スト4、および名人、本因坊、王座のタイトル保持者によるパラマス式トーナメントで、前期棋聖への挑戦者を決める。決勝戦は三番勝負。(9期まで行われていた全段争覇戦と統合) コミは5目半。 持時間は、四段戦までは5時間、五段戦以上は6時間、挑戦手合七番勝負は各9時間。 優勝賞金 2600万円

第8期棋聖戦 (囲碁)

全段争覇戦では、淡路修三が優勝。恩田列彦と彦坂直人が3人抜きを果たすが、彦坂を破った九段戦5位の苑田勇一、及び中村秀仁と清成哲也が最高棋士決定戦に進出した。 林海峰本因坊、加藤正夫十段、片岡聡天元、大竹英雄碁聖と、全段

棋聖 (囲碁)

棋聖(きせい) 囲碁の歴史の中で抜群の強さを発揮した棋士に与えられる尊称。碁聖とほぼ同義。 囲碁の棋戦の一つである棋聖戦に優勝した棋士に贈られるタイトル。 「棋聖」と尊称されるのは、歴代名手の中でも卓越した実績を残した江戸時代の本因坊道策(前聖)と本因坊丈和(後聖)である。近年では本因坊秀策も棋聖

棋戦 (囲碁)

碁打ちの強さの格付けもされるようになる。江戸時代になると、その中の本因坊算砂や利玄といった者たちから家元制が生まれ、家元が幕府に出仕しての御城碁や、寺社奉行の許可に基づく争碁などが公的な対局として行われていた他、武家や豪商が後援者となっての対局も行われた。 明治時代に

第2期棋聖戦 (将棋)

第2期棋聖戦(だい2ききせいせん)は、1963年度前期(1962年12月10日 - 1963年7月26日)の棋聖戦である。挑戦者決定戦三番勝負の結果、二上達也王将が花村元司八段を2勝1敗で制し、大山康晴棋聖への挑戦権を獲得した。棋聖戦五番勝負の結果、大山康晴棋聖が3連勝でタイトルを防衛した。大山は2期連続2期目の棋聖位獲得となった。

第14期棋聖戦 (将棋)

第14期棋聖戦(だい14ききせいせん)は、1969年度前期(1968年11月12日 - 1969年7月10日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では中原誠棋聖が山田道美八段を3勝0敗で制し、棋聖位を防衛した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第7期棋聖戦 (将棋)

第7期棋聖戦(だい7ききせいせん)は、1965年度後期(1965年6月7日 - 1966年2月14日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では大山康晴棋聖が二上達也八段を3勝2敗で制し、棋聖位を防衛した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第94期棋聖戦 (将棋)

2023年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月19日閲覧。 ^ “「藤井聡太棋聖が新しい扉開いた」完勝の一局に解説陣脱帽 変幻自在の玉さばきにファン「王様の大冒険」「こんなん見たことない」/将棋・棋聖戦五番勝負第3局”. ABEMA TIMES. ABEMA (2023年7月4日).

第15期棋聖戦 (将棋)

第15期棋聖戦(だい15ききせいせん)は、1969年度後期(1969年5月16日 - 1970年1月19日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では内藤國雄八段が中原誠棋聖を3勝1敗で制し、棋聖位を獲得した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第6期棋聖戦 (将棋)

第6期棋聖戦(だい6ききせいせん)は、1965年度前期(1964年12月11日 - 1965年7月23日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では大山康晴棋聖が升田幸三九段を3勝2敗で制し、棋聖位を防衛した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第5期棋聖戦 (将棋)

第5期棋聖戦(だい5ききせいせん)は、1964年度後期(1964年5月8日 - 1965年1月11日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では大山康晴棋聖が本間爽悦七段を3勝0敗で制し、棋聖位を防衛した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第12期棋聖戦 (将棋)

第12期棋聖戦(だい12ききせいせん)は、1968年度前期(1967年12月6日 - 1968年7月19日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では中原誠六段が山田道美棋聖を3勝1敗で制し、棋聖位を獲得した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第17期棋聖戦 (将棋)

第17期棋聖戦(だい17ききせいせん)は、1970年度後期(1970年5月28日 - 1971年1月12日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では中原誠十段が大山康晴棋聖を3勝0敗で制し、棋聖位を獲得した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第40期棋聖戦 (将棋)

第40期棋聖戦(だい40ききせいせん)は、1982年度前期(1981年11月2日 - 1982年7月9日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では森雞二八段が二上達也棋聖を3勝0敗で制し、棋聖位を獲得した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第13期棋聖戦 (将棋)

第13期棋聖戦(だい13ききせいせん)は、1968年度後期(1968年5月22日 - 1969年1月20日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では中原誠棋聖が大山康晴名人を3勝1敗で制し、棋聖位を防衛した。 [脚注の使い方] ^ “ヒューリック杯棋聖戦|棋戦”. 日本将棋連盟. 2021年7月23日閲覧。

第63期棋聖戦 (将棋)

第63期棋聖戦(だい63ききせいせん)は、1993年度後期(1993年3月23日 - 1994年2月18日)の棋聖戦である。 棋聖戦五番勝負では羽生善治棋聖が谷川浩司王将を3勝2敗で制し、棋聖位を防衛した。 第3局の2度目の千日手を受け、第3局の再差し直し局は第4局に予定された日程にスライド、以後の日程も繰り下げられた。